2008年11月07日

私の回復への道のり その1

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いんどの旅から 「果物屋さん」


最近クライアントのYさんから、「島田さんはどのようにして今のように回復したのですか?」と訊かれた。

この問いをきっかけに、10代の終わりに躁うつ病を発症して以来、自分がどのような道をたどってきたのかを振り返ってみることになった。これが自分の一里塚になるとともに、他の人の参考に少しでもなるとしたら、意味があることかもしれない。

そこでこれから何回かにわたって、自分の回復への道のりをたどってみたいと思う。この問いを投げかけ、貴重な機会を与えてくださったYさんには改めて感謝を申し上げたい。


ぼくが病気の兆候を明らかに認めてから約30年が経過している。すでに人生の半分以上を病後として過ごしたことになる。その間入院が2年、通院が断続的に約10年、症状は病院を離れても波のように続いていたが、ここ数年は治療を必要としないまでになっている。現在は漢方薬も含めて薬は飲んでいない。

通院をしていない間はどうしていたかというと、自己治療にいそしんでいたか、病気のことを忘れていたかどちらかである。そうしたいきさつを経て、現在はそう欝という自分の病気については気にならないか、ほとんど忘れて生活している。

とはいえ、症状が無くなったわけではない。症状は存在しても自分なりに対処することで、生活に支障がない程度に収まっているということである。この状態はおそらくこれからも続いていくだろう。最近は病気のほうもぼくを必要としていないし、ぼくももう病気でなくてもいいやと思えるようになった。変な言い方だが今の自分に一番ぴったり来る表現だ。

症状があっても気にならない程度に収めて生きていける、これが慢性疾患治癒の一般的な目標だと思う。病気との共存、病気を手なずける、病気と仲良くする、などともよく言われる。そういった意味では、たとえ症状が軽減しなくても(または悪化しても)このことは可能だと思う。よく本でも見受けられるように、不可逆的な重度の障害を負った人でも活き活きと生きていくことは可能だと信ずる。

そのとき人は、病理学的には治癒していなくても「治っている・癒されている」のである。確かに長い年月を経なければ、なかなかそういった心境は難しい。世の中にはすばらしい本が山とあるので、幸いにも先達の経験や知恵をそこから分けてもらうことができる。困難の中に宝石を見出した人たちの生き方は、人間性の本質を射抜いていて感動させられる。

そういったすばらしさには比ぶべくもないが、ぼく自身の振り返りとして、つたない体験を書き綴ることにした。これはいかに病気を治すかではなく、いかに問題を解決するかでもなく、病気を含めて自分の思い通りにならない、どう努力しても計画通りには進まない人生をどう生きていくか、というテーマに連なってくるはずだ。

そうすると、まだそのほんの入り口に立ったに過ぎないわが身を恥じるが、あえて書きながら出てくるものを自分でも読みたいという好奇心で進めるしかないだろう。


お断りしていきたいのは、精神疾患についての振り返りなので他の病気や障害については当てはまらない点もあるかもしれないこと、たとえ病名が同じ方でもこれは個人的で内的な記述なので、あくまで一個人の体験として参考程度に読んでいただきたいこと、加えて病気の症状を完全に無くすことがぼくの目標ではなく、納得行くように生きたいという思いから様々に工夫してきた軌跡であることである。

はじめに、病気の治癒には段階があるということを確認しておきたい。発症直後は誰でも何が起こったのかわけがわからない、という状態におちいる。とくに精神疾患では、認知や判断力が障害されている場合があるので、他者からの助けは絶対に必要だ。入院・通院といった手段が一般的にはもっとも有効なのはこの時期だろう。

状態に応じて、いつでもこの一般的な治療法は利用していい。よく言われる「また入院してしまったから、薬が増えたから、自分は進歩していない、振り出しだ」という考えは一掃してほしいと思う。医療は利用すべきサービスであって、自分の進捗をはかる物差しではない。患者は注文をつける客であり主体だ。専門職を必要に応じてどしどし利用すべきだ。

そうして基本的な社会的サービスを利用しつつ(利用しないという選択も客の側の判断として当然あっていいが)、そこでは満たされない自分の必要はどうしたらいいか、という課題は、退院後、通院中、または再燃したときによく現れてくる。


ぼくは19歳の冬に発症し、強い妄想状態に苦しんだ挙句、自ら大学のカウンセラーの診察を受けに行った。そのとき、即入院になったので、よほど重篤だったか危険な状態だったのだろう。実際その後も死に瀕するような自殺企図を行っている。この時期はすれすれの綱渡り状態だった。一歩間違えば今生きてはいない。

いのちは病院によって救われた。幸いにして70年代終わりの精神科にしては、先進的な病院だったので、当時の医療のうちでは良質のものが受けられたと思う。スタッフも親切だったし、当時はニュースにも上らなかったが、多数みられた患者への虐待や暴力的治療なども無かったようだ。

そこで数回の入退院を繰り返したのちに、最終的には追い出されるようにして退院することになった。

                       次回に続く



posted by jksk at 11:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の歩んできた道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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