
最近のコンサートにて(神奈川県平塚市)
前回、回復のきっかけとして、(意識的にではなかったけれど)表現し始めたことを書いた。
表現の特徴のひとつは、何かを作ったり行ったりするだけでもエネルギーが内から湧いてきて、たとえ発表する機会がなくてもその行為自体が自分を活性化することだ。
さらにそれを受け取る相手がいるなら、その反応によってコミュニケーションが生まれ、次の制作にフィードバックされてますますやる気が起きたりする。
たとえば、風呂につかりながら歌を口ずさむだけでも充分楽しいけれど、人前で歌って喜んでもらえば、レパートリーを増やしたり練習することで自分も元気になり、次の機会を楽しみにするようになるだろう。
すべての物事はそれほど単純ではないものの、自分の中にあるものを目に見える形で外に出してみれば、自分を客観的に振り返る機会が得られるし、他者との交流にきっかけになることは確かだ。
精神的な病の特徴のおもなものとして、自己への客観性が失われることと他者との断絶があるが、こう考えると表現行為が立派な治療になっていてもおかしくはない。
今ではよく知られているように、入院中でも作業療法のように、表現を通した治療が目的を持って行われている。それが成果をあげていることも事実である。しかし表現が個人の内側の世界を外の世界に表したいという「衝動」からスタートするものである以上、人に導かれて行う表現ばかりでは持続しない。
退院しても、医療から離れても、生きることへの欲求として表現し続けるなら、その人は受身の病者ではなく、自ら人生を作っていく主体になる。
ブログのプロフィールにも書いているが、ぼくはやがて自己治療として意識的に表現に取り組むようになる。また、人にも表現することを進めるようになったのは、こんな自分の体験からなのだ。
二年間の入院を終えて、ぼくは故郷の群馬に帰り、実家にしばらく世話になりながら、既存の医療以外に回復の道を探っていた。こう書くといかにも計画的に歩んできたかのように聞こえるかもしれないが、一向にすっきりと回復しない病気に対して、止むに止まれぬ気持ちでいろいろなことに頭を突っ込んできたというのが実情だ。
祖母が長年実践していた「野口整体」の教室に通っていた時期もあった。また、もともと健康の優れなかった母と一緒に、鍼灸治療院や漢方医に通った。ぼくはもともと子供のころから病気がちだったが、この時期にはじめて自分から自分の体や心を知ろうと勉強をした(鍼を自分を実験台に打ってみたりもした)。
もちろん本も読んだし、その一方でうちに手伝いに来てくれていた近所のお百姓さんと一緒に農作業もしていた。暇にあかせて沖縄まで自転車旅行をしたのもこの時期だ。(後に食餌法やヨガ、瞑想なども学ぶようになる)
病気をしていると時間はたっぷりある。ただ具合が悪いと何も手につかずぶらぶらしているしかない。そんな中で比較的やりやすかったのは、「とにかくからだを動かす」ということだった。
じっとこもっていると、心が鬱屈してますます不活発になる。そんなときには、考えをいったん置いて外に出てしまうことだ。太陽を浴び風に吹かれてみればあとは何とかなる。
住んでいる環境がどうであれ「まず外からはじめる」のが、具合悪さの悪循環から抜け出す秘訣ではないかと思う。
その延長で、ぼくは体を動かすことが重要であると考えるようになった。心の問題がすっきりするためには心に関わるのではなく、からだからはじめる、からだに戻ることだと気づいたのだ。
それから美術短大で2年間デザインを学んだあと、飛騨に引っ越して家具作り--木工の仕事を始めることになる。(表現を目的とした現代美術ではなく、実際に生活の中で使われる「用の美」を説いた柳宗悦の民芸運動の影響が大きかった)ひたすら物作りに没頭することで、心を忘れ、健康になろうとしたのである。
ぼくは大学時代から「考えること」で世界を理解しようとしてきた。しかしかえってそれが疑問や悩みを深めることにもなった。考えてばかりいると、思考が堂々巡りしてますます深みにはまっていく傾向がある。
いったんそれらの問題すべてを置いて、故郷からも長く暮らした東京からも離れ、ぼくは一から始めることにした。そのとき20代も半ばになっていた。
(続きます)