ゆとり家のウッドデッキで
20代半ばで飛騨高山に移住したぼくは、木工の仕事を始めた。それは望みどおりからだを動かす仕事であり、忙しいときには一日15時間工房にこもりきりで注文家具を作り続けた。
それまでのぼくにとっては尋常でない生活だった。人と顔を合わさずにただ制作し続ける日々は、確かに瞑想的でよけいな情報は一切入ってこない。からだもよく動かすし、集中していればこれほど理想的な職はないのではないかとも思えた。
しかし生来人好きのぼくには、たまの展覧会の機会などが楽しみになった。人間関係はストレスのもとになるが、自分に活力を与えてくれるのも人間関係である。どちらかといえば、ぼくは明らかに人と接している時間が多いほうが元気になるのだ。
典型的な職人にはなれない、なりたくないと知って、小田原市に移ったあと数年で家具作りをやめ、自然食品の販売を始めることになる。これがぼくにとっての一大転機になった。
家具職人時代、あまりの仕事の忙しさと人間関係が希薄ゆえのストレスで、数年ぶりにうつ的になった。
そのころ、いっぺんにようかん一本を平らげたり、チョコレートひと箱を一気に食べたりして、体重も増え体調は最悪に陥っていた。久しぶりに精神科に通い抗うつ剤も飲んだが、精密機械も使う仕事のため、副作用で指先が震えては具合が悪い。
折りよく知り合った自然食品販売の友人を通して、玄米菜食による健康法である「正食(マクロビオティック)」を知り、必死の思いで半年ほどの病気治療のプログラムをやり遂げた。
確かに排毒の反応が出て寝込んだり湿疹が出たりときつかったが、変化は劇的で、これを転機に薬とほとんど縁が切れることになる。
「医食同源」という言葉がある。<食と医療を分けることはできない、病気を治したかったら、食を改めるべきだ>という、古来の伝統医学の考え方である。
ぼくはこれを身をもって体験したので強調したいのだが、どれほど優秀な医者にかかっても、最新の医療を受けても、自らの「食」をはじめとする生活全体が改まらないかぎり、病気は良くならないか改善しても再発を繰り返す。
そもそも病気の原因が、自分自身や自分を取り巻く生活環境にあることがほとんどだ。とりわけからだに取り込み血肉となる食事は、一番の影響がある。とくに深刻な、慢性的な病気を持っている人は食事に意識的になるべきだと思う。
いい薬を飲んでも、レトルトや飲料など大量の工業製品を身体に取り込み続けていては意味がない。さらに吸う空気が汚れ、取り入れる情報が汚れ、人間関係はストレスに満ちている。
このなかでもっとも重要で、自分から変えられるものは食事なのだ(環境や情報や人間関係はなかなか難しいが)。
食事による治療法はさまざまである。ぼくが出会った「正食法」は、ぼくにはよく合った。人によって体質や好みが違うので、モカの方法がいい場合もあるだろう。
今でも基本的には玄米菜食の食事を続けている。食事を変えてから約20年になるが、食事だけではなくすべてが変った。漢方薬はある程度の助けになったが、それも薬には違いなく、やはり食事の改善が健康の中心になってきたと思う。
この結果、食が変っただけではなく「職」も変ることになる。海外で長く暮らしたあと、帰国後にぼくは自然食品の販売の仕事につく。さらに田舎で畑や田んぼを始め、食の世界に深く入り込んでいくのである。
次回は、食のその後と、さらに他にどんなことが変ったのかを続けて書いてみようと思う。