本当に生きづらい時代だ。自分にきいてみてほしい。あなたは生きづらくないだろうか? 生まれてよかったと思っている? この社会の中で、自分はあたたかく迎え入れられていると思う?
ぼくはちがった。少なくともかつては。
自分に正直であるほど、まわりとのズレは大きくなっていく。最初は自分のほうが間違っているんじゃないか、変なんじゃないかと思っていた。
それでも自分の気持ちが捨て切れなくて、苦しんでいた。自分を取れば、社会が受け入れてくれない。社会に合わせれば、自分が窒息してしまう。
そのころ、ぼくにとっての表現は、心の病気しかなかった。それはますます苦しいものだった。しかしじっさい妄想などの精神症状は、ある意味で自然だと思えた。自分を守るため、自分を"狂わせない"ために、それは苦しい表現方法で弱いぼくを守ってくれていたんだ。
それ以上に苦しかったのは、病気を持った自分のコンプレックスだ。こんなになってしまって、親に、友達に、世間にもうしわけない。あとは、そうした人々にすがっていきていくしかないんじゃないか。
病気の苦しみに加えて、この生き地獄。よく本当に狂ってしまわなかったものだ。
しかしそれらすべては自分が作り出している幻想だったんだ。病院は、これは病気だから薬をちゃんと飲み、病室に自分を閉じ込めて静かにしていれば必ずなおるという。
でも、なおりはしなかった。
なおらないと悟ったときから、ぼくの人生は、本当の意味で始まった。なおらなくても生きている、苦しくたって生きている、自殺未遂しても生きている、こりゃ生きてることはなんかあるぞ。そう直感した。
病気はむりやりその「何か」をぼくに教えようとしていた。
生きている事実、なんだかんだ言っても、結局生きているじゃないか。その気づきがぼくを救った。
「生きてるだけでもうけもの」。これがぼくがぼくに対して認識したことであり、またすべての生きづらさを抱えている人へのメッセージだ。
ここから、「歩く相談室」は始まった。