人は人を助けられない。ある朝起きて、気づいたこと。正直なところ、そう気づいたとき、ぼくはとても自由を感じた。もう人を助けよう、人の役に立とうと、あくせくすることはない。反対に役にたてなかったからと、がっくりすることもない。。。すると、もうこの相談室って、始まるまえから終わってるのだろうか。
どうしよう? と思いながらも、心は爽やかである。役に立たなくても、ぼくは生きている、今朝も御飯はおいしく感じるし天気も悪くない。こうして屋根の下で目覚められただけでも感謝しなくちゃならない。これまで、障害者をはじめとして人のためになる仕事をしようと、がんばっていた突っ張りがとれて、楽になっている。
ぼくの職は援助することだ。いわゆる援助職。ずっとこれまで病院で働いてきた。精神科の病院だ。知っている人も知らない人も精神病院に勤めるなんて大変なストレスだろう、と想像するかもしれない。
そのとおりである。
たしかに、ぼくが病院勤めをやれなくなったのも、このストレスで、何とうつ病になり、他の信頼できる町医者に通ったあげくにやっぱりこりゃだめだ、とても自分には向いていない、これ以上いても何回も発病して、どちらかというと患者になったほうがはやいという、しゃれにならないことになってきたからなのだ。
援助職。医療や、福祉や、コンサルタントやカウンセラーなどの相談業もそう、教育なども含むとその裾野は広い。とくにお年寄りや、障害を持つ人、対人サービスの中でも、知識や経験や資格を持った人間が、弱い立ち場の人間を助ける、というような感じの職業である。
ところが、この援助職に、ストレスでつぶれる「バーンアウト」、ガンなどの疾患、そして精神的な病気などがとても多いという。そしてぼくはうつになった。
援助職の人に、人を助けよう、役に立とうという動機が強い真面目な人が多く見受けられる。もちろん適当に気を抜いている人も多いが、そういう人のほうがかえって長続きしたりする。そして真面目な人は適当な感じで働いている仲間を苦々しく横目で見ながら、自分は人の分まで背負って何倍も働くことになる。そうすると大変だ。大変な荷物をひとりで引き受ける人になる。
その「真面目なひと」とは他ならぬぼくである。もちろん今もその傾向はある。それでは身がもたないし、患者さんも気詰まりになるだろう。それにもともとぼくは真面目が地ではないし、それを続けるとかえって無理が積もり、自分の容量を超えて、あるときバーンと弾けてうつになる。
こういう自分の傾向を知れば、いかに人のため仕事のためとはいえ、そんなに大きな負担は無理だとわかる。気を抜きまくれば勤め続けられたのにと思うが、性格上それもむずかしい。
やりたくてはじめたことなのだから、ひたすら楽しめばいいのに、仕事という意識がかなり自分をかたくなにしていたようだ。
そうしてけっこう長い間、去年から職場へ行ったり行かなかったり逡巡していたが、そうして少し病院から距離をとっているあいだに、あることに気づいてきた。良くいわれることだが--病院じゃなかなか治らない。しょせん無理なことをしゃかりきになってやってきたことになる。
病院がなくてもいいという意味ではない。急性期や症状が不安定なとき、医療の助けになることも必要だ。けれど、実際つとめてみれば、入院患者の八割がたは、退院したほうが良くなるんじゃない? と思えてくる。
それでも、入院している間だけでも、なんとか良くなってほしい--楽になったり、毎日を楽しんでほしい--と思ってやってきた。だけど、しょせん「これが良くなるということだ」の押しつけだった気がする。
たとえば、人間関係がうまくとれること、自己決定ができること、身の回りのことが自分でやれること、など。。。もちろんできるに越したことはないだろうけれど、それができなくて、またはなかなかそうならないのが長患いの精神病の傾向だから、ついつい大人が子供に言い聞かせる、しつけるような接しかたになってくる。どうしてできないの?
健常者である職員は、なんとか患者を健常者レベルに近づけようとするのが親切だと思いがちだが、かえって本人のためにならないことが多い。それはこの世間が作り上げた一方的な価値観にもとづいているからだ。曰く、こうするべき、こうするのがちゃんと社会適応した人間だ、、、と。
ぼくは、プログラムの中で、そうした「教育的なこと」を考えていないとき、ただ患者さんと楽しんでいるとき、彼らの内面の輝くものが自然と現れてきて、こちらが「教え」たりしなくても、ひとりひとりが持っている魅力が輝き出すのを、その場で実感してきた。