2005年11月02日

うつ日記-その4

2005.11.02 夜

 ありのままでいることが、病気の時はもちろん、自分の生をあるべきように流れさせてくれる。抵抗しないこと。ふだんありのままでいることが難しいぼくには、病気はそうできる貴重な機会だ。

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(本を読みながら寝てしまったらしい)

 自分が喜ぶことをしよう。自分がこうありたいと思うような、そういう状態を作ってみよう。ぼくは、陽が差し込む窓際で、ゆったりしたひじ掛け椅子に背をあずけて、「神との対話」を読んだ。

 神との対話は、とても現実的な質問に神が答えている。(聖書は抽象的で分かりにくい部分が多い。牧師さんの解説がないと、今ここで引っかかっている問題に、どう取り組んだらいいのか、取っ掛かりがつかみにくい)。もう4回は読んだろうか。今回も平易な表現の中に、沢山のきらめく言葉を発見する。

 久しぶりに丸い座卓を出し、その上でラーメンを食べる。自分では社会的な緊張感のない、だらけた表情をしているように思うのだが、パートナーはとてもいい顔をしているという。それだけでなく、このうつ休みを楽しんでいるのは、むしろ彼女のほうのようだ。おしゃべりなぼくの口数が少なくなるのも、またかわいくていいらしい。うつの時くらい静かにしていてちょうだい、とからかい放題である。

 昨日クボクラ医師は、あれこれができないというぼくに向かって、「そのままのあなたでも、きっと分かってくれる人はいます」と言い切ったが、パートナーがこのように分かってくれ、一緒になって遊んでくれるのはとてもありがたいことだ。

 「あなたはカリスマうつ病者になるのよ」とさえいう。なってみたいものだ。そのためにはまず、社会順応できなくとも、できないままの自分を自分で受け入れることしかない。何ができなくとも、ただあることを大切にする。ぼくがいみじくも日頃よくいっている、「存在のひと」である。そうなれば、たとえ痴呆状態になっても存在価値は変わらない。ますます人は純粋存在となっていき、まわりにその存在感の光を放つ。

 今日の行く先は、ここから車なら30分以内でついてしまう大磯海岸。波の音は心の緊張をほどいてくれる。羊水の中で聞く胎内の音がこれに近いという。実際に録音で聞いたことがあるが、確かにそうだ。ノイズのようでいて、爽やかに体の中を洗い流してくれる。

 しばらく海岸にいて夕暮れを迎える。引いていく波のすそが鏡のように光っている。部活の高校生たちがやってきて、走り込みの練習を始める。大磯の町の背後にある丘、湘南平に上ると、360度の夜景がまっ赤に焼け暮れていく箱根を従えている。足下には茫々と大平洋が、墨を流したような暗闇に吸い込まれていく。

 こんな大きな風景が近くに展開していたことを、あらためて知った。地球の丸さが手に取るようにみえた。

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(大磯海岸で夕陽に向かって気功) 


posted by jksk at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ぼくのうつ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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