2005年11月08日

うつ日記-その8

2005.11.08

DSCF0076.JPGa DSCF0084.JPG

 「次は? というのはもう、ないんですよ。今、そのときのことをやるしかないんです。そうすると、ある意味では未来のことについては安心できるんです。明日はまた明日のことが起こるだろうから、ゆっくり寝よう、と。日本に帰ってくるときも、なんにもなかったんです。お金も10万円くらいしかなかったし、仕事も考えていないし。でも非常に安心感があったですね。それは自分がいまそのときのことにちゃんとかかわっていれば、次のことは与えられるだろうという確信があったんです」。

 非常に寝覚めが悪い。ぼくはめったに悪夢を見ないのだけれど、眠りが浅いせいか今日は後味の悪さと重さばかりが残った。体を引きずるようにして、外に出てみる。あたり一面が金色に光っていた。今日の初めの二枚の写真。

 11月6日の相模平野日記に紹介した記事を自分で読んでみた。インタビューでは、やけに威勢のいい言葉として編集されているけれど、実際15年近く前に日本に帰ってきたぼくの気持を、うまくまとめてくれていたように思う。

 「今、そのときのことをやるしかない」「自分がいまそのときのことにちゃんとかかわっていれば、次のことは与えられるだろう」。こういう確信が自分にはあったことを確認する。また最近時間があるので読む本の中にも、結局は同じことが示されている。聖書にも「明日は明日が思いわずらうだろう」とある。どうやらそれは本当のことだ。

 今日のぼくにとって<今そのときのこと>」とは、今朝のどうしょうもないうつの重さだ。これをきちんと受けとめ、どう過ごすかを決めよう。

 今日も仕事を休む。うつ休み、というより、今日は仕事ではなくうつをする。人のケアをする余裕はない。それよりも今日は自分のケアがまず第一。だから、まず優先的にうつとつきあう。

 我慢して、または昨日のように無理をして仕事をすることで、うつの抑圧を強めるのではなく、それが出やすいうちに解放してやる方向に働きかける。あさ、パートナーが徹底的につきあってくれたので、ずいぶん楽なり、素直に感情を感じられるようになってきた。

 ぼくの病名は内因性の循環性鬱病である。教科書的には原因不明とある。遺伝、脳の機質やホルモンバランス、心因的要素などの複合で発症するらしい、とあるが、病的な症状はあくまで表面的なことにすぎないと思っている。

 症状のベースには、必ずスピリチュアルな要因がからんでいる。とくに子供のころからの、またはそれ以前から自分が抱えもってきた傾向がからんでいる。そして自分への「言い聞かせ」によって、そのしがらみから逃れられなくなっている。言い聞かせとは、自分とはこういう人間だ、という根本的な思い込みである。

 感情が表されると、それによってそのしがらみが次々とあらわになってくる。感情はスピリットの言葉だ。感情が出てくると、今まで抑圧して隠れていたものがなんだったのか、みえてくる。日常的なレベルから深く降りたところの、無意識があらわになってくる。だから、サポートしてくれる存在は大切だ。

 ぼくにはいいパートナーがいてくれてありがたい。ていねいにつきあってくれるばかりか、排毒促進のためにけっこう乱暴な関わりをしてくれたりもするのだ。今朝は瞑想にも時間がとれた。

 とても暖かいので、洗濯とふとん干しをする。それから、野菜などを買いに行く。あたりまえのことを淡々とやりながら過ごす。仕事、人間関係、勉強、家事、毎日いろいろしなければならないことはあるが、どれが一番ということはない。そのときやっていることが一番大切であるかのようにやってみよう。いつでもここがはじまりだ。



posted by jksk at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ぼくのうつ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。