2005年11月14日

うつ日記 その14

アユタヤの花
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2005.11.14

 長い夢を見た。今は空家になっている田舎の大きな木造の実家に滞在していて、そこが大地震にみまわれる。ぼくはその大きな揺れに身をまかせながらも、ノアの方舟みたいだなと思っている。

 老婦人に連れられてぼくは庭のすみの泉のほとりに立っていた。その前にいるだけで、胸の中の悲しみが清らかに流れていくのがわかった。

 老婦人はひざまづくと、両肘をその泉の中に浸して祈りを捧げはじめた。あとから来た男性も同じようにした。でもぼくはそのやり方がはじめて見るものだから、岩の縁に頭をついて祈り、指先で水をすくって額につけた。

 ぼくの祈りは形ばかりでぎくしゃくしてしまうなぁと思っていると、その泉の空中にもやのようなものが揺らめいている。老婦人はそれを見ると、仕方ないわねぇというふうに笑い、手の平をひと振りした。すると、そのもやは消えてしまった。

 あたりは終始明るい光が満ちていて、ぼくはからだが軽くなった気がした。

 夢からさめると、まだ清らかな悲しみの流れが胸の中にある。ふとんの中でしばらくそれを感じ、起き上がってまたそれを、流れるままにした。今日すべきことがわかった。ぼくは職場に電話して、休むことにした。

 このところいつ休んでいつ出勤しているのか、わからなくなっている。うつに入ったと自覚してから、二週間ばかりたっている。

 精神科の病院の在院日数は、短縮してきたとはいえいまだに1年弱。入院患者の年齢は、40才以上がなんと90%をしめている。65才以上にしても40%だ。それだけ人生の後半を精神病院で過ごしているひとが多い。

 ぼくは20数年前、当時でも例外的に若かった入院患者だった。今こうしてゆっくりゆっくり毎日を過ごしていると、社会生活をほとんどせずに、一番働き盛りといわれる時期を生きている。40代は、中年期の危機ともいわれる。

 危機emergencyは、emergenceつまり重要な精神的な"現れ"が生まれるきっかけでになりうるという。スタニスラフ・グロフらが病理を成長モデルとしてとらえなおすことで生まれた"Spiritual Emergency"ということばがある。

 SEN(スピリチュアル・エマージェンス・ネットワーク)という研究組織さえ存在している。
SENホームページ参照

 病理を別の"視点"からとらえるのは学問の領域かもしれないが、自覚的には、魂の危機を自分を信頼し「感じる」ことで、たんなる病的体験でなく、自分自身の固有ないのちの体験に変えていくことができる。それはもはや視点のひとつではない。ただこれだけのまるごとの自分を抱きとめることだ。それ以外にないというふうに、生きなおすことでもある。

 ぼくはまだ夢の続きにいて、その啓示で今日を生きている。十年後の自分に手紙を書き、出かけてきます。



posted by jksk at 02:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ぼくのうつ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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