2005年11月14日

うつ日記 その15

大山の全貌(山頂に阿夫利神社がある)
hadano-ooyama.jpg

2005.11.14 夜

 先日ここに載せたのは、南インドのアルナチャラ山だった。緑につつまれているが、山の形はまるで兄弟のようだ。

 今朝、夢の中にも出てきたのだが、考えたあげく大山に登ることにした。11日に行ったばかりだが、下社までケーブルカーで上り、そのあと急いで石段を下ってきたので、心残りがあった。

 今日はてっぺんまで行ってみようと、昼過ぎすぐに出て、山のふもとの旅館街に車を置き、そこから歩いていく。山としては大した高さではないのだが、なにしろうつでこもりがちだったので、体はなまり切っている。それに正面から大山に上る道は、けっこう岩がちで険しい。

 平日とあって、登山客は引退した年輩のひとが多かったのだが、驚くほど健脚。山歩きにかなり慣れている様子だ。

 ぼくは下社まで長い階段を歩き切った時点で、そのあと、続けて山頂まで行くかどうか迷った。体が重い。歩いたせいか、感情が水のように流れているせいか、心はすがすがしい。山に尋ねて登っていくことにした。

 ずいぶん歩いたと思うのに、まだ15分しかたっていない。時間の流れが突然止まってしまったかのような森だ。地図には山頂まで1時間半と記されていたが、岩だらけの道はえんえんと続くかに見えて、しかも誰にも出会わない。

 森を抜け、笹の道が続き、低木の間を抜けて、最後の鳥居に至るまで、考えていたより早く、1時間ほどだったのだが、とてつもなく長く感じた。シャツは絞れるほどぐっしょりと重くなり、登山靴をはいた脚は、だるくて上げていられなくなる。

 山とひとつになったり、または一歩ごとに歩く瞑想をしたり、身をあずけて力を抜いてただひたすら進んだり、いろいろやってはみたが、やはり持久力筋力の衰えを感じる。山が引っぱり上げてくれたので、何とかたどり着けた。

 "阿夫利"神社という名は、"雨降り"から来ているといわれる。大山のてっぺんは、下から見ると尖っている。狭い山頂に最初に雨が降り立ち、それから、この広い相模平野を潤していくのである。また雷の神もここに祭られているという。空からやってくるもの。空と地をつなぐもの。ぼくはひとりその間にしばらく立っていた。

 アルナチャラは火の山である。もうすぐ12月になると、彼の地では大きな祭りがあり、山頂に火がかかげられるという。木のほとんどない岩だらけの道。一筋の川も流れていない渇き切った山肌。そこは破壊の神、シヴァの宿るところである。砂漠のような大平野にぽつんと取り残されたような、厳しく屹立する孤独な山だ。

 それに比べて、大山は丹沢山系の豊かな山々に囲まれ、水も豊富だ。山頂からは穏やかな相模湾も一望できる。やわらかな水の地に育まれている。すでに七百年代から信仰を集め、人々が詣でていたそうだ。

 遠く離れた地ながら、双方の山に、両極のバランスを感じる。

 今日うつの重い気持を押して、行ってきてよかった。からだが先行すると、変わっていくきっかけになる。明日、また長靴をはいて散歩に出かけよう。

今日の山頂から相模平野を臨む。もやが濃くかかっていた
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posted by jksk at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ぼくのうつ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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