2005年11月17日

うつ日記 その17

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山頂から、雲の間に伊豆大島が見える。中程が海岸線(左)
夫婦杉。下社からほぼ15分。このあたりが紅葉が一番きれい(右)

2005.11.17

 大山参り3回目--詳しくはまた明日かき足します。

・・続き。紅葉がますます深まっていく、朝はしんとして、窓から見ると、マンション群の照り返しがまぶしい季節になった。

 大山は、山腹の下社までケーブルが通っていて、ケーブルが動きだす午前9時までに下社まで登っていないと、今の紅葉のベストシーズンには、平日でさえも観光客でごった返す。午前8時家発。急な階段を駆けるように登り、9時には下社についていたから、本当に近い。

 雲の量は多いが、陽はずっと降り注いでいた。ケーブルが到着する音を後ろに残しながら、再び階段を急登。前回と比べて、ほとんど汗もかかないし、景色を楽しめる。脚が慣れてきたこともあるし、天気がよくて空気が乾燥していることもあるのかもしれない。

 前回は、手ぬぐいも着替えも持たず、何の準備もせずにただ直感的に登ることを決めていたから、肉体的にはかなり疲れた。

 今回は富士もよく見え、上がっていくにつれて相模湾が鏡のように光りだし、雲に映え、空中に飛んでいるような心地がする。自分の住んでいるところが、すぐふもとに見えるほど近い。

 山頂には10時過ぎころにつく。ぼくの他にはあとひとりだけ、しばらくはとても静かだ。ずっと陽はかげることなく、注ぎ続けている。今回はシャッターにはばまれることもなく、お参りすることができた。

 この前は雲が重くたれ込め、雨降り山にふさわしい湿気を感じたが、カラッと晴れると光と風がたっぷりと降り注いている。祈りのさなかに光をたっぷりあびていた。この日は、かつて一緒に旅した聖書を持っていた。山頂でぱっと開いたページを読むことにして。

 「主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である」

 ぼくは自分がすでにゆるされていることを知らなかった。というより、自分の両手で眼をふさいで、自ら盲目になっていた。目が見えればわかるはずのあたりまえのことを、わからないでいた。目が見えていても、光がないと見えない。光がたっぷりと降り注ぐ山頂で、そのことを知った。

 山頂からは、平野を東京から横浜から足元の厚木まで、びっしりとおおう建物や道路、人々の営みを一望することができた。いったい何のために、これだけ地の上を繁殖しつくしてきたのだろうか。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。。。道路が愛であったら、すべてを結び付けなおす愛の循環器であったらと思いめぐらした。

 また、山上の垂訓の部分も読んだ。この有名な箇所は、山上でいわれたとされているが、よく読むと、山を下って平地で、、と記されている(ルカによる福音書)。しかし聖書にはじつに山がたくさん出てくる。祈りや修行や苦しみの場所として。

 大山も古い修験道の山で、むかしはおいそれと登ることは許されていなかったようだ。山上は景色をただ愛でる場所ではなく、精神的な意味でも高みを感じ、世俗の生活を振り返る気持にさせてくれる。

 山頂から大島を臨む。上の写真のように、それは雲の間にはさまったように見え、海面の反射で鯨が寝そべっているような形を浮かび上がらせていた。じつは同じころ(実際には時刻はずれていたが)パートナーが、その大島の三原山に登っているはずで、向こうとこちらで合図を送りあおうと申し合わせていた。

 そのとおりぼくは手を振り話しかけたけれど、太古の人々もきっとそうしていたのだろう。それほどお互いが特別な場所に感じた。それが極めてあたりまえの通信の手段だったのだ。その通信とは、祈りであった。

 その夜、あちらとこちらから帰ってきて、家の食卓で彼女と話した。彼女が大島できいてきた話によれば、大山の神が父親で、富士と大島の神は姉妹なのだそうだ。その神話はどこかで聞いたことがある。つい先だって、神話の世界の話を読んでいて、その姉妹--木花開耶姫(このはなさくやひめ)と石長姫神(いわながひめ)のことがでてきたのだ。大山祇神(おおやまづみのかみ)が、姉妹の父親である。

 この話はとても深淵で興味深い。これを読んでどう感じられるだろうか?

 うつの出口がもう見えてきている。けれど、ここで急がず、徐々に暖気運転しながら歩いていこう。


石長比売命(いわながひめのみこと)※出典によって、表記や呼び名が違っている。

日本神話に登場する女神。
日本書紀では磐長姫(いわながひめ)。
長寿の神で国津神。
大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘の一人で、木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)の姉である。

石長比売命は、輿入れ(結婚の事)するサクヤヒメとともにニニギノミコトのもとへやってきた。しかし、石長比売命の容姿が醜かったため、彼女を大山津見神に送り返してしまう。
大山津見神は石長比売命のみが帰って来た事に酷く怒り、これに対し、

「石長比売命を贈ったのは、二人の間に出来た子が、雨が降っても風が吹いても、石のように永久の生命があるようにと考えての事。サクヤヒメのみを娶った以上、天津神の御子の寿命は木の花のようにハカナイものとなるだろう。」
と言い放ったという。


posted by jksk at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ぼくのうつ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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