2005年11月19日

うつ日記 その18 最終回(とりあえず)

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お茶の花 放置された垣根で

05.11.19

 お疲れさまでした。これでいちおうお開き。ね、そういうことで。またの機会をまたどうぞ。そのせつはどうも。あ、お久しぶりです、どうも。ああ、あなたも。そうですか、さぞかし、、、それにしてもあれですね、あっちのほうはどうもいけませんね。

 などとはなかなかいかない。。。寛解、としておこう。ひろやかにほどける、くつろいでほどける、、、なんだか語感だけはやけにいい。

 <これは病勢が停止していると判断できるという意味である・・・症状が消失したと思えても長期的な視点から見ると実際には何度も症状の出現をみるものがしばしばあり、再発の可能性が否定できないからである。またしばしば精神疾患においては、まったくの寛解状態であると断定しにくいものも多く、完全寛解と不完全寛解といった表現をとることがある> (精神保健福祉用語辞典 日本精神保健福祉学会監修)

 悪文である。何を言おうとしているのかまったくわからない。不可解だ。不愉快にさえなってくる。たたみかけてくる言い訳のようにも聞こえる。<しばしば、、否定できない、、断定しにくい、、、ことがある、、、?>

 こんなのばっかりにつきあい、一日を勉強に過ごす。夜まであと何時間あるから、何ページまでやって、買い物をして、あと夜行くところがあってと、けっこう日常をこなすことに頭がまわりはじめているのは、それこそ寛解、乾杯だろう。

 しかし、山登りと同じく肝心なのは、帰り道だ。断食を抜けるときに、つい大食いしてしまうみたいに、うつを抜けるときに、嬉しさのあまりついあれこれと出来ることをやり過ぎてしまう。からだのほうはそんなに回復していないのに、心が空中前方十メートルくらいのところを浮遊しつつ先走りしていく。

 そんなふうになるといけない。おとといも、山登りをしてから、買い物や昼飯、そのあと部屋の掃除をしていたら、突然充電池が切れ畳の上で寝てしまった。冷えたのだろうか、風邪とも思わしい体調になってしまった。

 抜け出るときが肝心である。病気というやつは、自我が調子づくと、しっぺ返しをしたりからかいにかかったりする。なかなかひねくれものだ。あまりおもねってもいけない。言うとおりにされてしまうと、本来の生きているということがわからなくなる。病気するために生きているんだか、生きているので病気になっているのだかわからなくなる。はたして死ねば病気も一緒になくなるのだろうか。

 むずかしいことを考え過ぎるとまたうつになる。人に会うのもそれほど億劫ではなくなってきた。こうして文章を書くのもだいぶ楽である。否定的で自虐的な考えがなくなってしまったわけではないが、そんなものは誰だって持っている、という程度には考えられるほどになってきた。

 あさってあたりから仕事にもいけるだろうか。ここがむずかしいところだ。勤め先は、精神病院である。相手は非常にパワフルな人たちだ。いろいろな意味で、いろんな状態で、さまざまなあり方で。いったんは復帰しかけたが、ぼくのうつパワーではとてもかなわないとわかり、しばらくひとりリトリートをしていた。

 昨日は、久しぶりの東京行きであった。ただでさえ人のいるところは疲れる。それが集合的になってくると、ますます緊張したが、なんとかリハビリの第一歩になった。それは親しい人たちがいてくれたからであり、久しぶりのお酒がおいしかったからでもある。

 始めて観た映画「ホピの予言」もよかった。じつに製作されてから、19年ぶりのことだ。この予言にまつわる仕事というか、イベントに巻き込まれて久しいが、それでも実際にそのおおもとを取材したこのフィルムを観る機会がなかった。

 これを作った宮田監督のパートナーの辰巳さんとは、2000年の広島のセレモニーでお会いしており、顔をあわせるとすぐにわかった。渇ききった大地と雲のない青空に育まれたブルーコーンを食べて生きている、ホピの血統を引いているのではないかと思うほど、悲しみの深さと慈愛のひろやかさを持った人だ。

 映画はホピ族の大地から採掘されたウラニウムが、原爆や原発を作り出す過程を、人々の暮らしを追いながらていねいに描いており、被爆直後の生々しい広島の光景からはじまる。日本の被爆とホピの聖地とは密接な関係があり、だからこそ広島の火をその聖地に返すという20世紀の最後を締めくくる祈りが行われた。(広島の火をアメリカに返す三回シリーズ)

 予言は、原爆投下をさらに大きな視点から読みといている。人間が解いてはならない封印を壊したので、この先、破滅的な出来事は次々に起こってくるだろう。すでに浄化のプロセスははじまっており、それを止めることはできない。しかし本物の見る目、聴く耳を持った人が少数存在し、新しい時代を先導する。

 というような長老の話があった。彼は、毎日乾いた畑にブルーコーンを播いたり、それを収穫したり、織物をしたり、じつにシンプルな暮らしをしている。そしてその土地を離れず、世界に向けて祈り続けている。「ホピ」とは、平和という意味であるという。

 ぼくはここ数年、あんなにかかわりが深かった平和運動から身を引いてきた。それは自分自身の人生が個人的なレベルで大転換していくので、とてもエネルギーがそこまでまわらないことと、こうしていても、日常を生きることが世界につながっている、と感じることがあるからだった。日常という小さく強い祈りの集積が、今の世界をそれでも保たせているのだと思う。

 だから、今日もこれからまた勉強のノートに戻るけれど、その法律の条文の中にも、そういう祈りがあると思って、冷える腰をかばいつつ机に向かうのだ。

 ・・・うつ日記、今日で終了。そのうち「再び」があるかもしれませんし、ないかもしれません。あすから、日記は「ほぼ毎日相模平野だより」にうつります。コメントなかなか返せなくてごめんなさい。どう書いていいか、よくわからないのですが、気楽にお返事するようにします。



posted by jksk at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ぼくのうつ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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