ある寒い日に、真っ盛りの梅園を歩いてみたら、何の匂いも感じなくなっていることに気がついた。
鬱の状態ではまわりのものとの接触感がうすくなる。発症した20代以来、ぼくはつねに死の隣にいる感じを味わいつづけてきた。その感覚のただ中ではすべての現実感は薄れ、視覚だけが平静に自分と世界を眺めている。世界と出会うためではなく、別れを告げる前にもう一度ひととおり見ておこう、そんなまなざしなのだ。
あの冬ぼくは、死のすぐ隣にいたのだろう。こっちに戻って来いという他からの呼びかけがなかったなら、そのまま行ってしまっていたかもしれない。身体感覚の記憶がない。幽体離脱というのは、ああいうのが進んだ状態なのかもしれない。
誰でも昨日よりは今日、今日より明日のほうがよくありたいと望む。しかし、手に入れたものを失ったり、順調だったことが次第におかしな方向にそれていったりすることもある。自分の意志に反して運命に翻弄されるとき、嫌悪感や悔やみを抱く。とくに長病みや不遇にあったとき、その理不尽さを受け止めるすべはなかなか見つからない。
生きていることは苦ばかりが多い、、、とこのごろぼくは自分や仕事で出会う人たちを見て思う。その中でも最大の苦は死(というより死は恐いという思い)かもしれないが、必ずやってくるのが死だ。
このごろ病棟で年輩の患者さんとよく死の話をする。様々な変化に翻弄される生は不安定だけれど、死だけは確実にくる。
身寄りもなく、病棟で病んだまま死んでいくのは不幸なことだろうか? そのまま幽体離脱みたいに生きる実感を無くしたまま消えていくのが楽だろうか。抗精神薬や安定剤を服用し続けると、ぼくにも経験があることだが、生の実感が薄まっていき、離人症的になって消えていきそうになる。
最近患者さんが作業(絵を描いたり紙を切ったり、何かを製作したり)している様子を、つぶさにスケッチするようになった。どの顔も集中が極まってじつにいい。出来上がりを見せてあげるとみんな喜んでくれる。そんなふうにしてぼくは、彼らの無心の表情の中に、「ただひたすら」の姿の輝く宝石の核のようなものを探っている。
そしてそれはある。病気を忘れ、思うようにならない重い身体や悩み患いだらけの心を忘れて、ひたすらに何かに打ち込んでいる姿の中に、ひとりひとりの存在の核をなす小さく鋭い光を見る。
もちろん心もからだも病気も依然としてあるには違いないのだが、自分自身の光を自覚したとき、人は消えていく方向にではなく、世界とのつながりを取り戻そうとまるで赤子のようにもう一度立ち上がり、手をのばす。少なくともぼくは自分自身にたいして、そう信じている。そして自分に信じられることは、誰についても信じられる。
島田啓介のプロフィール
20代はじめ精神科に2年入院後、代替医療など様々なセルフヒーリングの道を探る。詩作・歌・翻訳・絵画などの自己表現を行ううちに、それらが最良の自己治療にもなることに気づく。現在、精神科の病院で作業療法に従事しつつ、既存の精神医療に今までの経験を生かしていく道を模索中。
<2003年、「ももの家通信」に寄稿したもの>