2005年10月01日

アルコール依存のNさんの死

2005.10.01

 9月29日、Nさんが死んだ。出勤すると、霊安室から線香のにおいがした。後からきいてみると、Nさんだという。信じられない気持だった。ついに三日前の散歩では、ひときわ元気で、彼岸花の続くあぜ道をひっきりなしのおしゃべりがグループを先導していたのだから。

 ぼくは、病棟にギターを持ち込み、「流し」をやっている。そんなときにはいつもやってきて、誰よりも先に「帰り舟」をリクエストする。それから何舟だったか? その類似品を次々とリクエストし、お得意の演歌をうなるのだった。そして、いつもの決まり文句、ここで一杯あればなぁがでるのだ。歌のほうはギターにいっこう合わせてくれず、好き勝手に進んでいってしまうので苦労した。

 最近は退院して施設に移る話も出ていたらしいが、三食昼寝つきで、好きなことをやっていられる病院暮らしがすっかり板についてしまって、看護婦に無理難題を吹っかけて困らせることさえ、その暮らしのルーティーンにはまっている様子だった。こういう現象をホスピタリズムと呼んで、専門家は問題視するのだが、Nさんはうまいことやっているなぁ、というふうに見えてしまうのだ。

 彼の人柄というものなのか、こちらが治そうなどという気をなくす。飲むという言葉と人柄は、もはやひとつのものになってしまっていて、ぼくは、いつか彼が退院したら、本当に楽しく一杯やりながら、カラオケで演歌を唸りたいものだなどと夢想した。

 アルコール依存症の患者さんの中には、こういう「人柄一体タイプ」の人がよく見受けられるように思う。生きることと酒とが分かちがたくなってしまっていて、その間に、様々なおもしろおかしいような、じつは悲しい話がたくさん埋まっているのだ。そういう物語を、半分以上はほらかもしれないが、きくことがぼくは好きだ。

 精神科でも、合併症が多く、引き受ける家族がいないなどの事情から、病棟で亡くなる人が意外と多い。その中には大変苦しんで亡くなる人もいるし、中には、自死もある。そういうときには、しばらくのあいだ、重い感情が残る。

 今年はなぜか多くの親しい患者さんが亡くなり、その中にはまだ整理がつかない感じのものもある。ぼくの中でだが。Nさんのような、後味の残らない、すっきりした死は、めずらしい感じがする。その死にかたも、彼の人がらそのもののように思える。

 病院の職員は「死なれ役」を引き受けなければならないことが多い。ぼくはリハビリ科なので、直接死に立ち合うことは希だが、それでも、死に顔を何度拝んだことかわからない。死なれ役もプロになるほど、そつなくなるもののように見える。いちいち身にこたえていたら、もたないということも事実かもしれない。

 しかし、ワーカーの大先輩であるA病院の大高先生(彼はぼくの学校の講師でもあった)は、そんなときには、帰宅途中に車を止めて大声で泣いたりすることもあるという。それをきいてそんな人もいるんだと、人の死に慣れることはないなと認めなおした。

 Nさんは、もう歌いにはこないし、ぼくを困らせることもしない。患者さんの死は、感慨を残したり、課題を与えたり、様々な感情を起こさせる。けれど、そんなことはみんな、こちら側の思い込みにすぎないのかもしれない。ただ、彼らは死ぬべきときに死んでいっているのかもしれない。

 死なれ役としては新米のぼくだけれど、死に立ち合うというあまりない職についていることは、何かの縁であると思っている。生と死について、何かの証をすることが、与えられているのではないか、そんなことを思う。

 このコラムでも、いくつかの患者さんの死について書いていくと思う。書きながら、またわかってくることも、わからなくなってくることもあるかもしれない


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