2005年10月06日

「降りていく生き方」のこと その4

今回は、ぼくが毎日どんなことをしているのか、具体的なことから書きはじめようと思う。

 前回は、人生のどん底ギリギリで病院にたどり着いた人が多く、そういった人たちといるととても安らぐのだということを書いて終わった。もちろんぼくは今回は勤めているのでひたすら安らいでばかりはいられないのだけれど、たとえば教育哲学者の和田重正氏の「いのちの世界では、楽しみの中にも苦しみの中にも喜びがある」という言葉を日々噛みしめる思いがしている。

 苦しみや不幸を背負わざるを得ない生きざまながら、そこにはいのちの寿ぎというものがある。いや、だからこそいのちの豊かな流れがはっきりと体験されるといえる。

 どん底では人は、なす術もなく裸でほうり出されている。そこで傷だらけのハートは壊れて開いてしまっており、自らを守ることがもはやできなくなっている。壊れるというのは弱くなること、その瞬間の自分のありようがごまかしようもなく開いていることだ。そうした人たちに出会ったとき、ぼくは何と正直だろうと感じる。

 たとえ異様なものであろうとも、病的であろうとも、出てくる言葉、示される態度、身体や心の動きのいちいちが、その人の丸ごと存在そのまま、苦しみとして立ち現れてくる全身で表現されたものなのだ。

その人は、生きることの錐のような先端にギリギリの状態で乗っている。薬剤や看護、介護、さまざまな療法などの支えを受けつつも、そのどうにもならない存在の不安定さは、自分で引き受けていくしかない日々だ。

 こうした厳しいハードボイルドの時間の中で「病気を生き」ざるを得ない人にとっては、病気に対して対症療法的に対処することはできず、不即不離の関係を結ぶしかない。

(この点医療と罹患している本人との間に、いまだに大きな乖離がある。病気をしているのはあくまでその人なのに、医療スタッフは症状を対象化し過ぎ、病気を生きざまの一表現ととらえることができず、腫瘍のように取り除こうとさえする傾向がある。こうして一方的に適者生存的なこの社会の価値観で患者を取り扱うことが、その患者本人をも社会から排除することにつながっていく)。

 そうした不安定でうつろいやすいあり方こそ、じつは健常者といわれている人々が意識から閉め出しがちな、生の実体を示している。人はふだんからハートを閉じ、精神的な器用さを活用してさまざまな防御手段やごまかしを駆使し、そのリアリティーを見ないように見ないようにしているのではないだろうか。

財力や社会的な力や巧みな対人関係の操作も、(心の病いを持つ人々がそれが不可能なゆえに計らずも露呈させてしまっている)存在の正直さとはまったく反対のベクトルを強めるばかりのように思える。

 ぼくは勤め人としてこの社会の価値観や時間で動いているが、そんなどん底で体験されるいのちの世界に波長があってくると、自分の内なる古傷や今も抱えている痛みが疼きだす。そこに入り込むことは、とても痛いことだ。でもそうせずにはいられない。そこがぼくの生の故郷だからである。

去年は久しぶりにその存在の故郷を訪れ、その瀟々とした静謐な暗闇が、今も自分の胸のまん中を占めていることを知った。しかし病棟にいて大きく患者側に傾きながらも、ぼくはあくまでスタッフであることに踏み止まる。それは、そこで与えられている役割があるからだ。

 社会的な偏見や、人生に対する絶望感や、たえず意識に介入してくる妄想や幻覚、それらを抱えながらなおも生きるということはどういうことなのか、死に直面して生が浮かび上がり、苦しみを抱えて喜びが輝き出すような瞬間、運命を同じくするものたちとの共感、いわゆる一般社会の価値観とまったく違ったもうひとつの社会への夢見を共有する瞬間、いろいろなことが今日も病棟で渦巻いている。その渦のただ中に踏み込んでいきながらも、ぼくはスタッフというよりさらに言えば、今のぼく自身であり続ける。

 横道ではないが、深みに話がそれていってしまったので、ここで病院での日常に戻ろう。

 「作業療法」という言葉は、今ではあまり使われない。病院ではリハビリテーション科に属するぼくの職場では、これをOT(Occupational Therapy)と呼んでいる。意味はたいして違わないのだけれど、かつて使われた「作業」という言葉に使役の暗いイメージが重なってくるので、今ではあまり呼ばれないということだ。そこでリハビリとして行っているのは、生活や表現行為、運動、遊びなどに関する全領域である。

 たとえば、絵画、版画、陶芸、木工、彫刻、それから、歌唱、演奏、カラオケ、作文、習字、将棋や囲碁、ゲーム、園芸、農作業、スポーツ、散歩、小旅行、さらに季節ごとのお祭り的イベント、歩行練習や機能回復、対話、ビデオ上映、調理・・・まだあるかもしれない。セラピストはこういったことすべてに一応おぼえがなくてはならないのだが、なんでもやってきたぼくにとっては、非常に都合がいい。

 一日のスケジュール。朝一番に、療法室の掃除とコピーやらその他の準備をしておく。9時半にスタッフミーティング。現在スタッフは7名で、たいてい交代で休んでいるから6名や5名のこともある。このとき新患や退院、転棟などが報告され、一日のスケジュールや問題点などが提出され検討を受ける。

 10時にセラピー開始。ぼくは第4病棟、アルコール依存専門病棟を任されている。ただ、おそらく半数はアルコールの患者だが、あと半分は分裂、躁鬱、癲癇性精神病、さまざまな痴呆、人格障害、身体化障害、神経症、非定型精神病(多くは聞きなれないかもしれない)などが入り混じっている。

 病棟に鍵を回して入る瞬間、たいていホールには、いつもの位置にそれぞれ知った顔が陣取って挨拶してくれる。空間が広いだけで、町の喫茶店と格別変わった様子はあまりない。食堂兼ホールはひところの精神科とはうって変わって広々と明るい。ただ車椅子が目立つくらいだ。

 ぼくはそこに「なじみの客」といったふうにして入っていく。見知った顔に次々挨拶したり、戯れ言を交わしたりしてその日一日の「ノリ」を作っていく。ほとんど毎日接している人たちなので、このときに調子が良いか悪いかだいたい感じ取れる。廊下でもあいさつを交わし、ベッドに寝ている人の様子をうかがい、ぼくの根拠地である4病棟の療法室へはいる。

 療法室は病院全体で3箇所あるが、4病棟のものはその中で一番狭く、10数人入れば一杯である。ぼくは一人で1時間半の間、それらの人たちと一緒に過ごすのだけれど、細やかにつき合うためにはけっこう神経もエネルギーも使う。

 今のところ午前中にこの部屋で行っているのは、メモ帳作りと、塗り絵と、新聞の切り抜き編集とマーブリング、時々ビデオ上映も入る。一口に精神病、またその中でもアルコール依存症といっても、さまざまな症状と状態の人がいるわけで、それに合わせた作業が必要だ。

ちょっと目には、同じく精神に異常をきたしているとしか見えない人たちも、それぞれに個性のある病気を病んでいるのだから、それを知って接しなければならない。

 意識状態があいまいで、鉛筆を持って色を塗るという行為がようやくできる人もいれば、知的障害はまったくなく、常人以上に編集したり構成したりする能力のある人もいる。ひとつの部屋で、それぞれがそれぞれにできることをやっていく。

 またここで肝心なところは、作業それ自体よりもそれを通じて照らし出されてくるその人の状態や必要に目を向けることであり、たとえ意味をなさないような妄想的つぶやきに対しても耳を傾けることが大切だ。あなたをおろそかにしていない、ちゃんとここにて聞いているというスタンスが信頼関係を作っていくということは、他の人間関係と変わらない。


posted by jksk at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の歩んできた道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。