2005年10月06日

「降りていく生き方」のこと その5

2002に続けて書いていた、「降りていく生き方」のことは、ひとまずここで一区切り。
  
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 なんでぼくは書くのだろう? こういう問いが時々出てくる。もちろん決まった答えなどないのだけれど。今朝も早く起きてまっ先にそう思った。

 依頼されて書く場合もあるけれど、この通信をはじめとして勝手にこちらで書かせてもらっているほうが多い。とくに詩を書いてお金をもらったことはないから、それこそまったく自分の都合で書いているものだ。

 お金をもらわないと、詩人ではない? 詩人といえるのはある程度のクオリティーがないとだめ? それとも、それはあくまで自称するだけの名? 逆に人に呼ばれることによってしか成り立ち得ない立ち場なのか。

 「この人は詩人なんです」と紹介されたことが何度かあって、そのたびに「おいおい、それは大いに違う」って居心地悪くなっていた。それはなんだか、とてもいたたまれなくて居心地の悪い呼称だ。

 世の中にはいろいろな職種や地位、立ち場がある。ぼくは自分を何と説明したらいいのかよくわからない。最近は病院に勤務しています、で済むのでとても楽だ。「それで何を?」「これこれこういうセラピーをやっているんですが」、とわりあい会話も順調に進む。

 こんなとき書くことに話が及ぶとややこしくなるので、初対面の人とはしない。その部分は「自称」と「公称」の間の微妙な部分で、薄墨色のもやの中をたゆたっている。結局ぼくの場合、好きでというより、止むに止まれず書いているのだ。

 この間、仕事で摂食障害(拒食、過食)の女の子と長時間話すことがあった(ほらね、「仕事で」と書くとなんだか納得してしまうでしょう)。彼女は今年に入ってから他のセラピストのすすめで日記をつけている。ぼくはそれはとても大切なことだから続けるといいよと言った。日記は、自分に話しかけることだからだ。

 摂食障害の根にあるのは、自分に対する拒絶感であり暴力だ。それにはいろいろと原因があるのだけれど、自分にやさしくしてあげることがとても必要な要素になる。彼女は人には言えない心の傷を、セラピストに話すことで癒そうと勤めているのだけれど、自分に対しても毎日日記を書くことで話しかけている。

 自分に対する話しかけは、自己受容の大切なステップだ。ケアすることとケアされる作業がそこで同時に起こる。ぼくが書く理由は、必ずしもそれだけではないけれど、こんな彼女の態度とどこか共通するものがある。だからなおさら、彼女が無意識にしようとしていることに共感できた気がする。

 彼女は欲求と後悔の繰り返しの中で、自分を卑下し否定し、痛めつけてきたのだけれど、こういうことってよくあることだ。自分にやさしくなれたとき、雨の音がよく聞こえるようになる。

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 病院の話の続きだった。毎日のように通っているので、どんどん状況が変わる。前書いたことがずいぶん古くなってしまったような気がするけれど、最近の話をしよう。そうそう、プログラムのことから。

 お昼休みの後には時間枠がふたつあり、午後はわりあい部活的な活動に当てられることが多い。たとえば園芸や農作業、ソフトボールや卓球などのスポーツや野山の散策、音楽や調理や焼き物など特定のものの製作、外出して行う催しの数々、病棟のレクリエーションなど。

その後3時ころからは、それぞれのセラピストが、病棟からの依頼があった患者に一対一や少人数相手に関わる時間である。ここでは歩行訓練やカウンセリング的なことをしたり、その他自由なプログラムを行える。

 この時間枠でぼくが最近もっぱらやっているのは「病棟流し」だ。そうめんではなくて、歌うほうの流し。もともと、ぼくが(心の中だけで)親しみをこめて「うつむきうんこたれ」と呼んでいるMさんがその発祥の人である。

 彼は心の病いがあり知能遅滞もある、カルテでは「退院の見込みなし」と書かれてしまうような人で、年中漏らしてしまう、セクハラもする、ふだんは食堂のテーブルに突っ伏している。発作を起こして他患者に襲いかかり(まあそれにもちゃんと理由があるのだけれど)、ぼくの担当する4病棟にまわされてきた人だ。

 一ヶ月前ほどのことだが、その彼が病棟のカラオケ大会のとき、伴奏に遅れがちになりながらも「上を向いて歩こう」を立派に独唱したので、ぼくは驚いてしまった。ふだんは反復語やオウム返しが多くて、まともな言語能力を疑っていた彼がである。

そのあと彼のところに行って「歌おうか」と、勝手にこの歌を歌ってみると、嬉々として歌うこと歌うこと。それに、ぼくが歩行訓練を担当していたOさんが乗って、それじゃ歩く練習も退屈だし、三人で歌うことにしようか、といってはじまったのである。

 誤解のないように。もちろん歩行訓練は医師の処方で行っているプログラムなのだが、ある程度歩ければスポーツ選手になるわけでもなし、あとは院内でも生活しているのだから、本人が歩いてください、というわけで他のプログラムに切り替えることもある。

それに、必ずしも歩けることがイコール幸せにつながるというわけでもない。苦痛を耐え忍んで必要以上の訓練をするより、もっと生きる動機につながるような他のことに取り組んだほうがいい場合もある。Oさんの場合も記憶の想起力がひどく落ちていたのだけれど、歌い出したら、昔歌った歌をきっかけに芋づる式にいろいろな記憶が蘇ってきた。

 こうして、「上を向いて歩こう」からはじまり、毎回リクエスト曲を増やしながら、すぐに参加者は10人前後を数えるまでになった。このごろは朝一番に病棟に降りていくと、すぐ「先生、歌お」と言われてしまう。おれだって歌ってばかりじゃ首になっちまうよ、と逃げながら病棟にギターをせっせと運び続ける。そのうちギターを習いたいという人が何人か現れて、中には個人授業をはじめた人もいる。

 習いたいとか、何かを楽しみに待つとか、人と一緒に楽しみたいとか、そんな気持ちは生きる力につながる。それが歌によってだと、ほうっておいても人が集まるのである。歌の引き付ける力はすごいと思う。

 病棟で大きな音を出すと(最近はパーカッションも使ってがんがん騒いでいるので)寝ている人もいて邪魔になるから、空き部屋のひとつを使っているのだけれど、もちろん音は漏れていく。すると、興味津々で覗き込んでいく人がいる。とくに勧誘しなくても自然と新しいメンバーが集まるという寸法だ。

 こんなお楽しみに関しては、看護スタッフのほうが奥手である。患者の中でもしっかりものの姉さんタイプのTさんは、看護婦を交えてのコーラスの合同練習でもしきり役だ。婦長に対しても超強気。

 キーボードの伴奏を名乗り出て練習に苦労している婦長に、「慌てるからつっかえてばかりいるのよ、高望みせずにやれることだけやりなさい、ほらここからもう一度」なんてこの人、ほんとに病気かいなとまじまじと見てしまった。うかうかすると、どっちがケアされているのかわからなくなる。

 5月連休あけると、病棟で祭りのような催しがあるのだが、この怪しいコーラス隊はさっそくそのメインにお願いされている。ぼくはこの集まりの張本人であるMさんには名誉隊長として、ぜひコーラスに合わせてそのうつむきかげんの踊りを披露してもらいたいと思っている。

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 この歌の会にたまーに見えるOMさんという車椅子の老人がいる。彼は老年性精神病という訳のわからない、見方によっては誰だって年とればそうなるだろうというような病名を持っていて、ことあるたびに怒りモードに入ってしまい、彼の怒鳴り声は4病棟の通奏音である。おはようOMさん、今日も元気で怒ってるね、と挨拶すると、さっそく怒鳴られる。

 もうこの人に何度絶交されたかわからない。でも、ありがたいことに翌日になると、本人はすっかり自分の言ったことを忘れてくれている。

 怒りの理由を聞くと、けっこううなづけるものもある。この間は「みんな馬鹿者のくせをして、利口ぶっているから頭にくるのだ」という。ドキッとしたね。そのあとこのままだと世界が滅ぶとか、予言者のようなことを次々とまくしたてるのでもう手がつけられない。

 ぼくはなかなか怒りを表現できないので、心底彼のような人がうらやましい。あるとき、怒るコツを教えてくださいとお願いしたら、「馬鹿者! お前なんか仕事をちゃんとやってりゃいいんだ」と一喝されてしまった。おかしいのは、そのあとにベッドにおれを寝かせろって威張ってくるんだよね。布団をかけるとホーッとした表情で、ありがとって言うんだ。

 こういう患者にはスタッフのほうもどうしても腰が引けてしまう。みんなが集まっているときに、怒鳴り出すともう止まらない。カラオケ大会のときがそうだった。もうしょうがないので、ぼくは「OMさん何か歌わない?」と寄っていったのだが、馬鹿者、おれは歌など歌わん・・・といいつつ、ついつい気持ちがゆるんだのか「わーかーく明るい歌声にィ・・」と漏らしてしまったんですね。「青い山脈」。歌ってもらいました。このときの拍手は大きかった。

 それ以来ぼくはこの歌をそうッと囁くように後ろから近づいていくことにした。でも、そうそう甘くはない。「おれは同じ手は食わんぞ」と、けっこう意識はしっかりしているのだ。こうしてまだまだOMさん相手の修行は続く。


posted by jksk at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の歩んできた道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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