2005年12月16日

K君との対話から--ほっとできる関係

<みんなでひとつの囲炉裏を囲むように> 2003年9月に書いたもの

退院してからもつきあいのある、ぼくのクライアントのK青年とその母親と町のファミレスで話をした。といっても、ぼくの持ち場は作業療法だからあくまで病棟内で、退院してからの外でのつきあいは個人的なものだ。もしかしたら、こういうことはまずいのかもね。

でも、縁のある患者さん、退院してからはむしろ友人という関係に近い人がいる。いてもいいじゃないかというか、病棟を離れて自由なつきあいができる、そんな関係もたまにはほしい。

長年ずっと自営業でいたぼくは、公私の線引きができない。最低限のルールは守るものの、病院を離れたら、あとはもう自分の判断だ。生活は生活で、仕事とは区別して、という考えがどうしてもできない。公私からみあい、すったもんだし、お互いに変わっていく過程がなんともスリリングで好きなのだ。

ぼくは彼から最近の相談を受けた。こんな時は、ぼくは病院側の人間でも患者側でもなく、聞き話している。ぼくは病院の職員であるけれど、他の病院にかかっている患者でもあるということを彼には伝えてある。

そうなれば、立ち場がひとつに固定しようがない。ある人にとってはそれは混乱だろう。でも、スリリングな関係においては、病気持ちであったり治療者であったりすることが同時に起こりあう。

K君はたまたまぼくの大学の後輩で、いずれは精神社会福祉士(PSW)を目指している人なんだ。切れ者の彼は、薬のこと、精神医療のことなど、患者としては驚くほどよく研究して知っている。そこがとてもおもしろくて、互いに病気持ちで、はじめはぼくのほうが相談を聞いていたのが、そのうちどちらが何の話をしているのかわからなくなってきて、そのわからなさの果てに、「お互いに共通のテーマ」を探っているような気持になってくる。

精神医療のソーシャルワーカー(PSW)は、はたしてどんな会話をクライアントとしているのだろう。支持的とか受容的という言葉がよく使われるけれど、社会復帰などという言葉がむなしく聞こえるほど厳しい精神障害者を取り巻く社会的環境は、あちら立てればこちらが立たず、なにかを激しく犠牲にしたうえで、あなたはそんな制限の中でかつかつで生きていくんですよというどっちつかずの答えが用意されていることが多い。

何回も何回も入院してくる人たち。もちろん病院は気軽に利用されるところであっていいけれど、それにしてもいったん足を踏み入れたら、心の病人稼業からはなかなか抜けられない。心の病を持つということが、社会からの決定的な脱落であるかのように思う人も多い。精神病院は人生の墓場だと思い込んでいるような人は、まだけっこういるのではないだろうか。ましてや当事者ならば、そうとしか思えないのは辛いことだ。

ぼくはそこにトリックをかけたい。精神病や、もっと広い意味での心の病は、それを通じて人生をより深く味わえるようになる。心の深い秘密を探る機会を恵まれる。それによってしか出会えなかった人に会える。想像もできなかったような人生の道筋が開かれていく。既成の価値観が転倒し、新たにダイナミックな世界を見させられる。そんなことが起こる可能性がふんだんにある。

それにもまして、健常者といってもたいていは病人であるような昨今だ。ただそのことの自覚がないだけで。発病できないでストレスを抱えつづけていることも、さぞかし辛いだろう。むしろ現代では、発病することは正常な反応であり、ある敏感さを備えた人間が、過酷な状況にたいしてそういう形で何かをアピールしているという点では、自己表現であり、ひとつの才能の開花であると、ぼくは言ってしまうのだ。

病気の症状やそこから引き起こされるまわりとのトラブルにさいなまれて、一日をやっとの思いで生きているK君のような人に接していると、ぼくには「一日一生」とか「一日作さざれば一日喰わず」という、禅の言葉が思い起こされる。

朝起きてから寝るまでの一日を過ごすのが、ようやっとだ。寝床にたどり着いた時、今日もなんとか生きてきたと思う。放っといていのちがつなげるのではない。生きることに大変な苦労や工夫がいって、そのあげくに布団に倒れこむような日々。よくぞ、生きてまた出会えたなぁと、ぼくはK君を迎えたのだ。

思えばずっと苦闘しつづけで、40過ぎまで生きてこられた自分も不思議だ。よく死なずにいた、本当に大変だった、ごくろうさまと自分に言った時、あるときぼくは、友人の前で涙を流した。この何十年かがあるのではない。一日一日があって、そのひとつひとつが人生だった。

K君とぼくとの共通のテーマと感じられたのは、こういうことだった。
「きょうのひと日をあゆんでゆき / ゆうがたをむかえたらば / きょうすごしえたるを、手をあわせて、おれいをもうしたい」・・・八木重吉

こういう言葉は、人にとって温かい囲炉裏のようなものだ。ぼくは、もはやK君の相談相手ではなかった。その時ぼくたちは、感謝という名の囲炉裏の火を囲んで暖をとる旅人どうしであったのだ。

ぼくは彼に、一日を終えた時に、または夜のどこかで、今日生きていられてよかったですという祈りの時を持つといいよという提案をした。彼はそれを、母親としたがっていた。でも実際には、その言葉はぼく自身に向けられたものでもあったのだ。ぼくがぼく自身に切望していることを、自分に言っていただけなんだ。

これもまた囲炉裏の言葉である。それはどちらか一方から一方へと渡される言葉じゃなくて、四方に暖かさを発散する。ぼくたちはそのまわりに集って、手をかざしながら暖かさを味わい、からだに受けることができる。

そんな暖かさはどこからくるのだろうか。不思議だ。頭で考えた言葉でなく、相手を説得しようとか、助けてやろうとか思うことではなく、ただやわらかな呼吸をしてやさしさに満たされながら耳を傾けている時、いつのまにかぼくはぼくというひとりであるよりも、囲炉裏を囲む仲間に入っている。

今では火の気が絶えた故郷の旧家の囲炉裏を思い出す。家族がともにあたった火のことを。薪のはぜる静かな夜を思い出す。底冷えのしてくる急に秋を迎えた火の気のない田舎家で、今ぼくは思い出している。あの囲炉裏はいまどこにあるのだろうかと。

今日あった出来事を思うと、囲炉裏はそこにあった。誰でもそこに加わることができる、開かれた場所。暖かな言葉。信頼のある関係。火にあたりたくなった。ああ、そういえばしばらく焚き火をしていない。

----------------------------
木と ものの音  (大正14年9月21日)

秋になると
木がすきになる
ものの音がよくなってくる

            八木重吉



この記事へのコメント

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。