2005年12月16日

不思議なレストラン--クッキングハウス訪問

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南天だってクリスマスカラー

2005.12.16

 東京都調布の町を二十数年ぶりに訪ねた。学生のころぼくはこの町の郊外に住んでいて、そこではじめて心の病にかかった。そしてしばらく引きこもりを続けたあと、入院したのだった。その暗い思い出の景色を車窓から眺め、木の葉が落ちて明るい昼の光に照らされた調布の駅に降り立った。

「クッキングハウス」がはじまってから18年になる。京王線調布駅の近く、三ケ所に精神障害者の人たちが関わるレストランやティールームを運営し、講演会や交流会、ワークショップ、カウンセリング、地域交流、就労や生活支援など、様々な活動をさかんに行っている共同体である。

 知り合いのホームページを通じてここの存在を知った。日本でも「べてるの家」はじめ、数えるほどしかない精神障害者の社会での活動の拠点だが、クッキングハウスはすでにマスコミなどでも広く報じられていて、ぼくもまず、代表の松浦幸子さんの著書を手に取ってみることにした。

 調布はかつて自分が暮らしていた町であるが、そのころ(70年代終り)は、心の病気を持っても、行くところは精神病院しかなく、退院したとしても直に社会の刺激にさらされ、それに耐えられなくなって再発、また入院をくり返す--これが通常だった。ぼくもアパートを残したまま、入退院をくり返して、そのまま生活を続けることができなくなり、いったん親元に帰ったいきさつがある。

 それからすると、その頃こんな場所さえあればずいぶん助かったのに、と思えてならない。ぼくは、今休業中をいいことに、自分も作っていこうと描いている、そんな安心できる居場所に脚を運ぶことにした。本で書かれている場所に、実際に行ってみたくなったのだ。

 ここでは毎月一日だけ、木曜日のお昼から「公開紹介会」といって、まずお昼にレストランで玄米定食などをいただいたあと、メンバーの人たちの講演や歌、お茶とケーキでの交流会などがもたれている。すべてここの手作りオリジナルな、いきな企画である。

 数人の当事者の方たちが、実際にここでレストランを運営したり他の活動を行っている様子や、今までの苦労話、一人暮らしの実際などを語った。人前で話すこともまず一苦労だろう。それぞれ話すことには統一されたテーマはないのだけれど、共通して、そこにその人が確かに存在する--プレゼンスがちゃんとあることに感動した。

 なかにはマイクを通しても声がぼそぼそとしか聞こえなかったり、聴力障害のため発語がはっきりせず聴き取りにくい人もいた。しかし聴衆も耳をそばだてて集中しているので、いやが上にも場の緊張感が高まり、一言ひとことが際立って響いてくるのだった。

 その伝わりかたは、まさに詩。間合いも含めて隙がなく、ずんと心に届いてくる。どちらかといえばか弱いありようが、あまりにもそのまんまで、こちらも脱力してしまい、いつの間にやら引き込まれている。その言葉の響きは後々までからだの中に残る(その夜ぼくは、あるところで開かれた「ポエトリー・リーディング」の会で詩を読んだ。そのときこのことを思い出した)。

 脳出血で心身共に重度の障害を受けた女性は、つい9月にも服毒自殺を図ったというのだれけど、よくここで話すまでになったものだと、その間のことが思いやられた。

 彼女のようにここで話せるようになるまでには、長い時間がかかったという人もいる。実際に精神障害を持つ当人が、自由に体験を語れる機会や場所はとても少ない。まず精神病に対する偏見がいまだに強く存在すること、多くの当事者が、自分には話す価値のあるような体験はない、と思いこんでいるからだ。

 ここには精神医療・福祉関係者や家族や当事者だけでなく、一般の人も集まってくる。それはメンバーが、自分たちが言いたかったことを代弁してくれているような気がするからかもしれない。彼らは病気を抱えた人生を通して、人間に共通の悩みや希望を語っているのだ。

 会のあとに、代表の松浦さんと話すことができた。オープンで腹の坐った人である。感心したのは、ぼくと話しているあいだもぼくとの話を決しておろそかにせず、同時にちゃんと他の人の呼びかけにも応えていること。一言かけるにも、きちんとその人に向いて話をする。だから、受けるほうも大切にされていると感じられるのだろう。安心できる居場所は、こんな姿勢にも現れているのだと思えた。

 最後に「ほっとしにまた来てくださいね」と声をかけてくれた。こういうことがさり気なく口から出てくる人だった。

 チラシに掲げられているクッキングハウスの理念には、「安心して、自分らしさを取り戻せる居場所」「メンバーひとりひとりが、必ず誰かの役に立っていることを、確信できる活動」「弱い人の立ち場に添った、新しい福祉文化を創造する場」「いつも開かれた市民交流の場」とある。

 考えてみれば、これは家庭にも職場にも、つまり社会のどこについても共通していえることではないだろうか。誰にとっても必要だけれど、それがかなわない状況が現代にはあふれている。だから、こういう場所が貴重なのだ。ここから社会へ向けて、多くの安心感が発せられていることが行ってみてわかった。世の中はいい方向にも変わりつつある。

 世間のメインストリームに流されていると、なかなか希望が見えてこない。しかし一方で、小さな場所で貴重な変化が起こっていること、それは確かな変化であることを確認した。ぼくは「ほっとしあう」ために、またそこから出かけてほっとする波紋を広げていくために、ときどきクッキングハウスに立ち寄るだろう。

 クッキングハウスホームページ(書籍類もここに紹介されています) 
 http://www.cookinghouse.jp/index.shtml


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