2005年12月30日

ラインホルト・メスナーのこと

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小田急鶴巻温泉駅の線路

2005.12.29

 昨日の40日瞑想の欄に、メスナーのことを少し書いた。そのあと、今日ファミレスで勉強する合間に彼の自伝をざっと読んだ。

 超人といい、天才という。しかし、彼らは天賦の才に恵まれ、常人にはできない高みに達してはいるが、その悩み苦しみは同じだ。エベレスト8848メートルを無酸素単独で登頂するまでの葛藤、苦痛、疑問難問。読んでいて、人ごと、天才ごととは思えなかった。

 人生に意味を問えば、それは空白で突き返される。その空欄は自分で埋めるしかない。自分次第で、どんな人生もあり得るのだ。

 メスナーが前人未到の世界のピークへと向かうとき、こんなことに何の意味があるのか、と薄い酸素で朦朧となった意識で考える。脳細胞が破壊されていく音を聞きながら、そのとき彼はただ一歩を踏み出すしかない。考えることより、もはや身体が登っていくのだ。気づいたとき、下る稜線がただ四方に伸びているのを見る。霧中の頂点。夢中の頂点。

 多くの登山家たちが、いのちを落としたその山で、「彼だけ」がなぜ生き残ったのか。多くの挑戦者たちがいのちを自ら断った、心の深みの世界のことを思う。なぜ「ぼくは」生き残ったのか。あの時死んでいて当然だった。でも、なぜ生き残ったのか。

 失ったものは多い。失った人もたくさんいる。それでも自分が生きている事実の重みをかみしめている。今年、2005年が暮れていく。フェリーニの「道」をビデオで観た。この時代、ぼくが生まれる前の1950年代に、こんなふうに人生を凝視していた人がいた。それを痛切に感じた。

 あまりにも哀しい「道」の物語を、今の自分が生きていく力に転化するものは何なのだろう。哀しさ悔しさをすべて残らず抱き取って、それでも一日一日と暮らしていく、そんなしぶとさ、平気さがほしい。

 もしかしたら、それができるのは、詩があり、歌があるからかもしれない。



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