2006.2.6
職場復帰して、さっそく絵画教室のリーダーをした。もうちょっと詳しく説明すると、精神科病院の作業療法で絵を描くというというプログラムが復活して、さっそくそれにあたることになった。美大に行っていたことがあり、そこで教職もとったことがあるので、学校の美術家教師になるという道もあったかもしれない。
しかし、その経験を、セラピー的なことに応用することはそのままではむずかしい。ふつうの学校で教えるのとかなり違うものがある。それぞれの病気も違うし、障害の傾向やレベルも違う。それらの人々に対して、どう行っていくのか、かなり工夫が必要だ。
先週は、線を組み合わせて空間を区切ってもらい、それぞれに絵の具で作った色を塗っていってもらうという作業を考えた。みんなけっこうおもしろいものが仕上がってきて、ちょっとした抽象画の展覧会のようになった。
最後に品評会をやり、そこで「自分の絵をほかの人たちに見せて、そのいいところ、うまく描けたなと思うところを言ってみて下さい」と、提案した。これがなかなかむずかしい。
失敗したとか、むずかしくてダメだったという感想はいくらでも出てくるのに、ここがよかったという言葉はなかなか出てこない。もちろん見ているほかの人からはたくさん出てくるのである。まわりからほめられて、ようやくひとつふたつは出てくるというところだったろうか。。。
自分の作品をほめるというのはこんなにむずかしいんだ、というのが予想通りの実感だった。自分の作ったものをほめるのは、自分の中にある良きものを認めるということだ。それが自分自身では気づきにくく指摘されても認めにくい。これはまったくぼく自身のことだ。
よく自分をほめるというゲームめいたことをするのだけれど、作品という媒介物があると、よりはっきりしてくるのは、なかなか自分を素直に認められる人はいないということだ。
これは行き過ぎた謙譲を教えこまれる文化や、精神病を持つことで、まわりから偏見を受け、自己評価が極端に低くなることと関係があるのだろう。
せめて自分だけでも自分の良いところを見つけてあげよう、そんな思いで、最初の絵画教室をしたのだった。