2006年03月10日

患者さんの本音

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春一番、畑を耕す

2006.3.9

 土に飢えている。畑をやりたいと切望する。でも、病院で週に二回、農作業のプログラムを行っていることは救いだ。ほとんどぼく自身のためにやっている、というのが本音である。

 春になると無性に土に触れたくなってくる。雑草でさえ愛おしい。それは、冬に閉じこもっていた状態から解放される喜びを伴った感情だ。山深い場所にある病院で、今日も花壇や畑の土いじりを患者さんたちとした。

 自然は奇跡である。人為でははたせない癒しがある。それに身を委ねるようにして、今日も柵を切る。ぼくが将来とも描いているのは、こんなことだ。自然に委ねて癒されていくこと。薬や隔離ができることはほんの一部である。全的な癒しは、たとえば自然といった大いなるものに委ねるしかない。

 今日は作業のあと、患者さんたちの本音を訊ねてみた。「自殺をしたいと思ったことは?」「長く入院してきて、もう社会に出たいと思っているか?」「自分の病名を知っているか?」こんな問いを、不思議なことだが受け止める機会が、当の精神病院にはほとんどない。

 医師も看護師も、はてはセラピストやワーカーも、患者をなんとか片付くべきところへ収めることしか考えていないことがほとんどである。

 ぼくが精神病者で入院患者であったときに、一番聴いてほしかったことを、今勤めている病院で患者さんたちにしている。自分の入院体験や自殺未遂のことや今の精神状態(うつ)のことも伝えながら。

 患者さんたちは、5年10年と入院している人たちが多い。もはや社会生活の記憶をほとんど残していない。それでも、管理されつくした環境から、自由に自分の望むような場所へ出たがっている。当たり前のことだ。しかしその当たり前のことが、なかなかまわりから受け入れられていない。

 社会の側から意識のもち方を変えていくしかないと溜め息まじりに思う。明日からしばらく、現場に出て勉強してくる。だれでもが当たり前に望んでいることを、当たり前のやり方で実現していっていいのだから。



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