2006年03月20日

横浜寿町訪問その3〜今日一日を生きる

DSCF0062.A tree and Sun
ケヤキがすくすくと野に立つように

2006.3.13
 
「きょうのひと日をあゆんでゆき
 ゆうがたをむかえたらば
 きょうすごしえたるを
 手をあわせて
 おれいをもうしたい」

  (八木重吉『寂寥三昧』より 大正十三年)

 ミーティングルームに、「今日一日」と小さく書いた板が掲げられている。アルクのプログラムに参加する人たちは、原則的に毎日ここに通うことになっている。そして、今日も一日飲まずにいよう、今日はなんとか飲まなかった。そのようにして、仲間で確認しあっている。

 もちろん脱落していく人もいるし、自発的な運動である限り強制はない。誘惑(酒)は町にあふれている。そこでスリップ(再飲酒)してしまった人が、うちの病院に入院してきたりする。ぼくはそうした入院者とばかり接してきたので、回復をめざして社会でどんなことが行われているのか、その現実をほとんど知らなかった。

 「今日一日」の言葉は、今回もっとも心に残った。禅で一日一生という。一日一日を生き切る、そして明日目覚めたら、そこからまた生きる。ティク・ナット・ハン(ベトナムの禅僧でフランスに住み、コミュニティーを作っている)の詩集を訳したときにも、「眼が覚めたとき、まっさらな24時間がそこにある」という一節が強く印象に残った。

 朝起きたとき、今日もだいたいわかり切っていると思うのと、何でも起こりうるまったく新たな日だと思うのとではまったく違う気分になる。ここに来て仲間の顔を見ながら、あの人が生きていること、自分が生きていることを確認することができる。ミーティングには、これまで生きてこられた感慨と、今生きているという事実の重さを感じる瞬間がいくつもあった。そういう感覚がぼくも含めて一瞬走る感じがした。

 何かを作り出すのでも成し遂げるのでもない、ただ生きているというそのままを肯定する日。その一日。そしてまた一日。その一日ごとを継いでいくことが、何よりも尊い営みのように思えた。それだけでも、重大事なのだ。

 誕生日に訪れたことで、とりわけ自分の老いと残りの人生で成すことなどいろいろと思い巡らせたが、それでも何が変わるわけでもない、ただ一歩一歩大切に生きていくことをここで教えられた。

 ほとんどの参加者がぼくよりも年上であり、老齢に達したものも多くみえた。からだを悪くしたり、大変な毎日を送っている人もいるだろう。ただこうして仲間がいる限り、受け入れあえる限りは、すべてが不幸であるとはいえないだろう。

 所長のジャンと、残りの時間を話して過ごした。よく笑う人である。しかもからだをよじっていかにも楽しそう。彼と話していると、何もかもが可能に思えてくる。決断して実行すること、それしかないと思えてくる。

 ぼくは最近、うつの再発前後はとくに縮こまって、病院に勤めることをとても堅苦しく感じていたが、ジャンと釣りの計画をたてたり、回復者のメッセージを病院で招く話をしたりするうちに、「居る場所で、今できることをする、それはいつでもどこでも同じ」、そういう言葉が自分の口から出てきた。

 確かにそうなのだ。そうやって、幾多の困難を生き延びてきた人たちがここに集ってくる。ジャンの柔らかさは、それをくぐり抜けてきてなお、アル中のジャンです、と自己紹介する謙虚さがもたらしたものだと感じた。

 ぼくはどうだろう。

 冬がぶり返して海岸からの冷たい風がどの路地にも吹き込んでくる、3月半ば。暗い夕暮れどきに、路上に寝転ぶ人を何人か見た。ぼくは華やかな中華街に足を運んだ。あちこちの店から湯気が立ちのぼっているが、どこにも入る気にならず、乾物の大袋を入手し、一周したあと、インドのお香を買い込んで家路についた。

 乗り換えの横浜駅は平日の帰宅ラッシュのまっただ中で、人をよけて通るのが精一杯だ。ここでも人々はアノニマス(匿名)だが、同じアノニマスでもAAのミーティングと違って、すれ違ったら二度と会うことのない群れの流れである。

 ぼくはひとりでどこまでも歩いて寂しさを紛らわした、東京の学生時代を思っていた。皆帰るところがあるはずなのに、膨大な寂しさが改札から流れ出してくるような気がした。

 


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