2005年10月06日

降りていく生き方-その1

(2002.2月記) 5回シリーズ

 ぼくが毎日出会っている人たちは、精神を病んで社会で生きづらくなった人たちだ。かつて自分がそうであり、今も持病を意識して生きざるを得ない立場から、ぼくは治療者と患者の両方の狭間に立っている。

 このごろ、毎日つぶさにつき合うことで、本当にこの仕事に出会えて良かったと思う。というのは、今までいろいろやってはきたが、どこかしらぼくは「成功」や「抜きん出ること」が頭から離れないでいた。自分のやっていることが認められたい、人よりも評価されたい、そういった動機に大きく影響されてきた。

 もちろんその気持ちがなければやっていけない仕事もあろう。しかしぼくの生き方は、じつはそうではなかった。病院で患者さんたちと出会い続けることでようやく何がしっくりこないのかがはっきりしてきたのだ。

 今までのぼくの生き方はおもに、「昇り続けること」で動機づけられてきた。けれど本当に重要なのは、「降りて行く生き方」だった。今までは「賢くなる」方向ばかりに意識が向いていたが、本当は「愚かであること」こそが大切だったのだ。

 頭ではちょっとは考えていたことだけれど、全身麻痺状態で痴呆の人の歩行訓練をしたりするうちに、その人の「存在時間」に入り込んでいくにつけ、生きることの実相は、「降りて行く」ことなしには決して見えてこないということがわかってきたのである。


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2005年10月03日

ぼくが精神病院に勤めはじめたころ

 息子はもう60近くになる。それでも母親は彼のことが心配で時々電話をかけてくる。今日電話があったといかにも嬉しそうにその人はぼくに話した。話題に乏しい日々だけれど、わずかな嬉しさを積み重ねながら、彼は不自由な身体を一歩一歩先へとすすめる。

 世間的に見れば自慢できるような息子ではないかもしれない。彼自身もそのことは充分承知している。「どうしてこうなってしまったんだろう」、そう口癖のように彼は言う。残りの人生にたいして重苦しい思いを抱えながら、それでも生きているという否定できない事実に対して、目を向け、身体を動かし、自分を励ましていかねばならないのだ。

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2005年09月29日

うつと引きこもりの再発体験

 あるとき布団から出られなくなった。40過ぎての引きこもり。いつの間にか鬱の繭にすっぽりとくるまれてしまい、そこから出られなくなった。2ヶ月を布団の中で過ごした。何も考えられなく苦しみさえも感受できなくなっていた。

 ある寒い日に、真っ盛りの梅園を歩いてみたら、何の匂いも感じなくなっていることに気がついた。

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